個人も説明責任が求められる時代になった

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説明責任とは、通常は組織が外部に対してどのようなことを行い、どのような成果を上げたかについて説明可能がどうかが問われることを言います。

しかし、今や、個人のレベルであっても、わたしたちはさまざまな場面においてこの説明責任を求められるようになってきています。

 

説明責任とは

英語ではアカウンタビリティと呼ばれ、もともとは会計用語でした。たとえば、株主総会などで、企業が株主に対して経営状況を説明したりすることです。企業が取り組んだ事業が現在どのような状況であり、どのような利益、あるいは損失を生んでいるか等を明らかにします。今やこの概念は、企業以外の多くの組織に適用されるようになってきています。

 

個人の説明責任

最近ではさらに個人のレベルで説明責任が求められるようになってきている気がします。それは必ずしも組織のリーダーに限ったことではありません。組織の末端の一員であっても、どのような行動をしたのか、そしてその結果、そのような成果を上げたのか等を詳細に説明する必要性が高まっています。

おそらくこれは日本において評価システムがドラスティックに変わりつつあることと無縁ではないでしょう。いわゆる年功序列、終身雇用という日本的雇用形態が崩壊しつつある今、個人の説明責任がますます重視されてくるに違いありません。

一昔のように、「きちんと真面目にコツコツと仕事に取り組んでいれば、周りはきっと評価してくれる」という考えは通用しなくなってきています。逆に言えば、このような考えでどんなに一生懸命仕事に取り組んでいても、なかなか評価してもらえない可能性もあるのです。もちろんしっかりと仕事に取り組むことは当然のことですが、自分がどのように仕事に取り組み、どのような成果を上げたかということを、他の人がきちんと理解してくれるように丁寧にわかりやすく説明することが必要なのです。

 

行動には責任が伴う。さらに・・・

スパイダーマンに出てくる名言の「大いなる力には大いなる責任が伴う」ではありませんが、私たちが何らかの行動を取るときには、責任が伴ってきます。そして行動の結果、どのような成果をもたらすことができたかについてきちんと説明することも責任の1つになってきているのです。多くの人はこの説明責任を前提にお仕事をされていることと思いますが、もし周囲から評価されていないと感じている方がいらっしゃるとしたら、理由の1つに説明不足ということもあるのかもしれません。

May your heart and soul be peaceful!

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