迷信行動は無意味なのか

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迷信行動と呼ばれる行動があります。

たとえば朝起きてベットから出る時には必ず左足から降りるとか、靴下をはくときには必ず右足からなどといったものです。この行動をとることによって悪いことが起こらず、良いことだけが起こると信じるものです。

このいわゆるジンクスのようなものは馬鹿げていて、無意味な行動なのでしょうか。

今回はこの迷信行動の意味についてご紹介します。

 

なぜ迷信行動が生じるのか?

メカニズムははっきりしています。例えばたまたまサッカーシューズを左足から履いた時、試合で活躍できたとします。すると、左足から履くという行動と試合で活躍するという本来はまったく関係ない2つが結びつき、それ以降左足から靴を履くようになるといった具合です。

この仕組みは「オペラント条件付け」というもので、人間に限らず、マウスや鳩などにもみられます。たまたまとった行動のあとに報酬が続けて起こると、その行動を繰り返すのです

 

迷信行動の意味

では、こうした迷信行動には何か積極的な意味があるのでしょうか?

科学的、客観的な立場で考えれば、当然のことながら、無意味なこと、馬鹿げたこと、哄笑されるべきもの、まったくの無駄ということになるでしょう。

たしかに時間がとられますし、周りの人からしたら滑稽な行動としか見えなかったりします。

でも例えば一流のスポーツ選手などがこうした迷信行動をしているという逸話を聞くことがあります。また、私自身の経験から考えてもまったく無意味とは言えない気がします。

スイッチを入れる

まず、迷信行動は何か行動を開始する際に、儀式的な意味があると思います。例えば先ほどのサッカーの例でいえば、左足から靴を履くことでスイッチが入り、「よしこれから試合だ!」と気合を込める意味合いがあるのではないでしょうか。

 

プラシーボ効果として

また、いつもと同じことをするというのもその後の行動を自然に行うことに役立つと思います。ちょうど薬のプラシーボ効果のような役割があるのではないでしょうか。

「またうまくいくだろう」と思い、安心を得るということもあると思います。とくに試合やプレゼンなど重要な出来事の前に不安になりやすい人にとっては積極的な意味があるでしょう

まとめ

迷信行動には、一連の動作を通して、重要な出来事の前に心身の準備を整えるという意味があると思います。

ただ、確かにあまりに儀式的な行動が増えすぎてしまえば、それこそ時間の無駄といえるでしょう。

儀式的行動が複雑になりすぎ、もし順番を間違えたりすれば、「失敗するのでは?」という恐れとなり、当然逆効果になりえます。注意が必要ですね。

by K.

May your heart and soul be peaceful!

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